翻訳と辞書 |
呉皇后 (成化帝)[はいこう ごし] 廃后呉氏(はいこう ごし、1448年 - 1509年)は、明の成化帝の廃后。 == 経歴 == 順天府(北京)の人。正三品指揮使の呉俊の娘として生まれる。天順8年(1464年)、英宗に選抜されて後宮に入り、太子朱見深(のちの成化帝)の婚約者となった。父の呉俊は一品錦衣衛都督同知に進封された。 成化帝が即位すると、皇后に立てられた。その翌月、側室万氏(後に皇貴妃となった)を嫉妬して杖で打った。成化帝は激怒して皇后を廃位し、別宮にうつさせた。 万貴妃は嫉妬深く、他の妃の子供を堕胎させたが、呉氏は生母紀氏が手放した朱祐樘(のちの弘治帝)の養育に密かに関わったこともある。弘治帝の即位後も、王太后が反対したため、呼び戻されることはなかったが、皇后の礼遇で膳食を下賜された。 正徳4年(1509年)正月16日、薨去した。妃の礼で葬られた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「呉皇后 (成化帝)」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|